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会津若松と南阿蘇 [大河]

商品宣伝のつもりは、ありませんが、会津と熊本の南阿蘇の関連の説明です。
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佐川官兵衛 その2 [大河]

新聞記事は、2007年10月17日の熊日の記事です。seibun.JPGkanbei-2.jpg

八重の桜 会津若松 [大河]

記念館前景.JPGNHK大河ドラマ「八重の桜」に第1回と2月10日放映分で、中村獅童扮する佐川官兵衛という侍が出ています。後年家老となり、明治初期の戊辰戦争で若松城から出て、転戦、奮闘の後、降伏開城。藩士の生活の為、明治7年春に約300名の旧会津若松藩士を率いて東京警視庁に奉職後、西南戦争で、熊本南阿蘇白川口で、明治10年3月18日戦死しています。地元南阿蘇村(旧白水村)では地元住民からも慕われていたと聞いています。その佐川官兵衛を顕彰する記念館が、南阿蘇村吉田にあります。白川水源の約2k手前右に明神池があり、その横にあります。一度水汲みがてら行かれたらどうでしょう。

沢山の幸せと、金のおふとん [お仕事]

菓子屋にも年末だけの仕事があります。
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参考までに、お多福豆180g450円 栗きんとん200g 450円です。もちろん自家製です。

落語「千早ふる」柳家小さん治、好きな落語家です。 [落語]

「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から くれなゐに 水くくるとは」という在原業平の百人一首の中の短歌の意味を、金さんが長屋の先生に聞きに行ったのはいいが、この先生がいい加減な解説をするという落語です。いわゆる知ったかぶりのお話です。枕(落語の導入にする、ちょいとした小話)で、小さん治が、「世の中に知らないのに知ってるふりををする人がいるが、まだ、ましで、知ってて知らないふりをする人がいる。こりゃぁいけないね。記憶にございません!なーんて言う人は、きっと知ってんですよ。」なんてことを言ってましたが、そうだねと思いました。チクリと刺す風刺の精神は江戸時代も、今も変わらないのでしょうね。

暑いので簡単に、寅さんネタで [投稿]

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タイミングが会えば、甲子園に行きたいと、思っています。

漱石先生の先見性に、びっくり!文明とは [漱石先生]

草枕の中の一文。「文明は個人に自由を与えて虎の如く猛からしめたる後、これを監せい(かんせい。原文は漢字ですが書けません)の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨めて、寝ころんでいると同様である。檻の鉄棒が一本でもぬけたら----世はめちゃめちゃになる。」。草枕は1908年明治41年に発表されています。約100年と少し前です。2011年3月11日から始まった文明の最先端の事故を、漱石先生は、予見していたのでしょうか。
次回は少し柔らかめの記述にしたいと思います。
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初めてのお店の宣伝 言い回しがやや古いです。 [お仕事]

7月から、ちょいとしたイベッントを、してみます。詳細はhttp://okashino-shiboriya.com/ まで
こんなことです。サ-キュラ-パウンド決定版.JPG

草枕読破しました。 [漱石先生]

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熊本出身の姜尚中氏が、続悩む力という本を出しています。広告の見出しに、今までの「幸福の方程式」を超えて――――。漱石の予言を手がかりに、新たな生き方を見出すためのヒント、という文が載っていました。
 草枕の中にも、平和や戦争(時は日露戦争の時代背景)、当時の実社会、芸術や生き方について、現代に通じる示唆に富んだ記述がありました。1回きりの読破ですから、50パーセントくらいしか理解できていませんが。
 ひとつひとつについては、時々、報告させていただきます。それから、食いしん坊の私としては、小説中に、菓子が、ごまねじ、微塵棒(みじんぼう)、羊羹、蓬餅(よもぎ餅)と4種類が出てきますし、和食のすばらしさを賞賛する場面も有り、茶道の所作で心を忘れ、形だけ真似をすることを批判しています。
 今、三四郎に挑戦中です。菓子屋としても頑張らなければと思いました。
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